PRESIDENT BLOG

2022.03.07 経営のこと

登る山を決める

人生において、もっとも大事なことの一つに、自分の志、登る山を決めるというのがあります。そして、それをやり遂げるために人生を生きるということですね。

稲盛さんも経営の原点12か条の第一条で経営の目的を明確にする第二条で経営の目標を明確にするというのがあります。登る山は、この2つを兼ねたものです。目的があれば、目標はなくてもいいのではという意見もあります。それは目標が高ければ、それを達成するために厳しいことをしなければならず、なんのための目標かがわからなくなるということです。

確かに、このようなストレス社会ですから、これも一理はあるでしょう。また、そうされる方を否定しません。目的がなく、目標があるより、目的があり、目標がない方がいいと私も思います。

例えば、シュンビンでも、社員の物心両面の幸福という目的があります。同時に、中小企業を代行し、顧客の売上を上げる
というミッション、それと、クリエイティブ社員を200名上場するという目標もあります。ミッションが、目的と目標の中間のような感じでしょうか?

目的があり、目標がないというのは、社員の幸せが優先なのだから中小企業の企画部を代行や経営目標は、そこまで高くなくてもいいのでは?というようなことです。ですが、私は、両方ともないといけないと思っています。こういう論理になるのは「社員」というのを「今いる社員」という狭義にとらえているからだと思います。

新しく入社する方は、この志、経営の目的、目標を聞いて共感しきていただく方です。それを覆すのは、その人たちに対して嘘を言っていることにもなります。社員だけではないですね。顧客や協力先、今後は株主に対しても、この志を提示しているわけです。極端に言えば、今いる社員が全員辞めても、一人でも、その志を捨てないというぐらいの強烈なものでないと、絶対成功しないんじゃないでしょうか?

誤解を生むとよくないので、話しますが、昔からいる社員は大切にしないといけません。ついてこれないものはやめろというのは絶対ダメだと思います。今いる社員にも寄り添い、その人たちが新しいチャレンジやその人たちがシュンビンの目標の中で前を向けるような状況を会社としてもできるだけ用意するということはしないといけません。

でも、その目標が自分は嫌という人は辞めていただいても仕方ないでしょう。それは目標の否定ですから。他の人にも迷惑がかかります。その人が納得する会社に変わることもできます。職業選択の自由があるわけですからね。

孫正義さんが「登る山を決めないで一生懸命に働くことは彷徨うに等しい」と言っていました。そして、実は「99%の人が志、登る山を決めずに一生懸命働いている」とも。

20年前、会社が崩壊するかもという修羅場で、まだ、社員が数名しかいない中で、そのような志を持てたことが自分の人生に意味を与えてくれたと思っています。そして、そのことにチャレンジすることが全社員の物心両面の幸せにつながることを信じています。