PRESIDENT BLOG
稲盛さんは、よく経営は格闘技以上の闘争心、ガッツがいるとおっしゃっていました。そして、最近の経営がこれが足りなくなっていると危惧されていて、「燃える闘魂」という本までだされました。このような闘争心は性格ではないです。逆に性格的に蛮勇を持っている人は怖いです。経営者には向かないかもしれないですね。もちろん、性格を変えることはできますが・・。
そこで、この闘争心というのもが、どういうものか?というのを少し整理したいと思います。闘争心は、自分を捨てるところからでてきます。喧嘩が強い人は、自分が殴られようが、血が出ようが、それを恐れないから強いんです。人間は、通常、本能や理性で、自分を大事にするというものを持っています。それが理性的な人ですね。そして、この理性的な人でないと経営はできません。怖さ知らずでガンガンいけば、いつか会社がつぶれてしまいます。でも、では、ずっとリスクを回避していても、経営はダメで、どうしてもチャレンジしないといけません。
これは、あたかもボクシングで攻撃と防御が両方いるのと同じですね。攻撃には常にリスクが付きまといますが、攻めないと負けます。でも防御をしないと、いくら攻撃力に優れていても、プロ同士なら通用しません。ですから、攻撃すべき時に、攻撃する。守るべき時に守る。そういうことだと思います。当たり前かもしれませんが・・
結論から言うと、しっかり防御できる人が、ガッツをもって攻める、これがいります。ということはつまり、理性的な人が自分を守るを捨てないといけないということです。自分を大事にするような理性的な人が自分を捨てるようになる、それはどういう場合か?それは、責任感です。社員を守る、家庭を守る、顧客を守る、言行一致を守る、それが恐怖を越えてくれます。
動物でも母親が外敵から子供を守るという母性本能がある、ボス猿が先頭にたって外敵と闘う、そういうことです。これ言っていいのかどうかわからないですが、今でも、会社組織を守るために、そういう脅威になるようなことに対して、相手を殴るつもりで私は臨んでいます。本当に殴るわけではなくて、そのような心を内に持って行きます。そうでないと自分の信念を保てないです。
つまり、これが本当に世の中のおもしろいところなんですが、優しさという闘争心とは本来逆のような性質のものが、真の勇気を持たせてくれて、闘争心を育ませてくれます。闘争心がない人は、社員やその先の社員の家族を守りたいという心が薄い、依存心を持っているのかもしれないですね。
もう少し具体的に言います。例えば、弊社でも仕入先さんと価格交渉をします。それを高い値段で買ってしまっては、顧客に高い価格をだしてしまい、顧客が競争に負けてしまいます。ですから、顧客を守るために、社員を守るために安く買わないといけないということです。
逆に、例えば、顧客が支払いをしないという場合、これをしていただかないと、社員に給与も渡せないし、仕入れ先さんにも支払いができません。社員のためにも、仕入れ先さんのためにも、絶対回収しないといけないし、場合によっては、喧嘩してでもお金取ってこないといけません。また、社員が、高いレベルで仕事しないと、顧客にも、仕入れ先の期待にもそえません。
今後、上場すると株主という新しいステークホルダーが関連してきます。我々を信じてお金を投じてくれた方の期待に応えるためにも
利益を上げていかないといけないということです。すべてのステークホルダーのために、その責任感で、降りかかる試練困難を乗り越える、または、自分の中にある甘え、小善を振り払う。いざというときは自分が泥をかぶってもするという心が大事です。
創業期には、そのような場面、仕入れ先とのガチンコの交渉、売り先にお金を回収しにいき喧嘩したこともありました。そういう闘争心がシュンビンでも気薄になってきているのかなと思います。
素晴らしい、優しく、思いやりのある心、そして、自分の組織や組織に関わる方々の無限大の責任感、それが闘争心の本質だと私は思います。今の日本が、それが失われてきたのは、個人主義に偏り、他者への責任感が薄くなってきたのかなと思います。是非、それを取り戻していきたいですね。