PRESIDENT BLOG
会社を採用していくと体育会系がいいという話を今でも聞きます。体育会系というのは、スポーツの部活動をしていたという意味だと思います。
私も、中学高校は、体育会系のクラブに属しておりました。スポーツの持つ、人生経験の糧になるということ、協力関係の大事さ、フェアプレイ精神など、人生の早い時期にこの経験ができることは素晴らしいと思います。私も、中学時代から、すでに挫折を経験し、スポーツを通して、学んだことはかけがえのないものだったと思います。
ただ、ここです。この体育会系が良いという会社の中に、そういう素晴らしい面だけでないことが含まれています。例えば、上下関係が厳しい、飲み会を断れない、精神論に偏るところなどです。体育会系が良いと思っている方のなかには、このようなことも企業統治という面で、良いことだと思ってられる方が多いのではないかなと思います。現に、昭和、平成の早い時期までは、そういうことが良い方にいったことも否定はできないと思います。
実は、私も、若い時期に、人生におこる理不尽さを体験できたことは良かったと思っていました。でも、どうでしょう、人間は、自分の成功体験に依存してしまうので、後輩にも、そのような理不尽さを体験させた方がよいというふうになっているのが、今の日本かも
しれません。まあ、そこまでは思わないかもですが、先輩風を吹かせた方が自分の欲を満たせるので、それが言い訳になったというのも否めないです。今の時代、ここは、切り離さないといけないと私は思います。
だから、体育会系という言葉がよくないと私は思ってまして〇〇というスポーツをしていたでいいんじゃないかと思います。そして、無意味な上下関係や高圧的な態度は排除すべきだと思います。不思議なことに、私は、いわゆる体育会系のクラブで、それが自分にとって良かったと思いながら、それを会社の組織運営に用いようと思いませんでした。
ですから、皆びっくりされるんですが、昔から、誰であろうと社内はさん付けです。あだ名とかで呼ぶと親しみがあるという人もいますが、あだ名で呼ばれる人とそうでない人がでるというのは変な誤解をうむし、あだ名を快く思わない人もいるでしょうからね。
今、ますます、そういう体育会系という言葉の持つ、ネガティブさがクローズアップされてきています。これは、私は、世の中が、うちに近づいてきていると思っていますね。でも、重ね重ね言うように、スポーツを若いころにするのは大賛成です。さらに、スポーツも、もっと自由な雰囲気の中でできてもいいんじゃないかとは思いますので、スポーツもそこを変えていただけるならさらにいいと思います。