PRESIDENT BLOG

2022.11.07 その他

織田信長

昨日、岐阜の信長まつりで、木村拓哉さんがでられたことで話題になっていたからではないですが、織田信長の話題を・・私、歴史が好きなので、その中でも特に好きな人物は、織田信長なんです。

織田信長と言えば、残忍なイメージがあって、それで嫌いという人もいますが、今の時代から過去を裁くのはどうかと思います。同じ状況で、同じ立場であれば、自分ならどうしていたかと考えると、やはり、信長は日本が誇る希代の英雄だと思います。信長の何が好きか?というと、その先進性と変革力、燃えるようなビジョンですね。

まず、ビジョンでいうと、当時の戦国時代を統一し、戦のない社会にするという壮大なビジョンです。しかも、天下布武ということで公言していたというのが凄いです。信長以前は、武士の世界であっても、源氏か平氏しか天下を取れませんでした。またあのころ、天下を統一しようという意志をもっていたのは信長だけだったと思います。

これは逆説の日本史の著者である井沢元彦さんが言っていました。信長が天下を統一するような勢いを見せてから他の戦国大名は、やつができるなら自分たちもということですが、本気でそれを考えたのは信長が最初というのは私も同感です。

その証拠に、信長以外の兵は農民です。ですから、栽培時期には帰らないといけません。信長がはじめて兵農分離し傭兵を主戦力として採用したのです。だから、信長の兵は最初は弱かったんですね。でも1年通じて動ける、自由に移動できるのは信長の兵だけですから最終的にには信長の兵が自ずと勝つわけです。

先進性でいうと、上の兵農分離もそうですが、徹底した能力主義でもありました。秀吉も光秀も滝川一益も実力で抜擢され5つの軍団長の一人になっています。身分も一切問いませんでした。

あとは、それを支えると言ってもいいかもしれない、経済政策です。楽市楽座というのは、究極の規制緩和です。規制を緩和し、経済を自由にすれば経済は発展するというのを信長は知っていました。城も、山の上にあったのを庁舎的な役割を担うために都市部にもってきています。米を代替貨幣を禁じ、貨幣経済を推進しました。道路も、信長以前は、攻められないために、あえて細くしていたのを幹線道路を整備しました。

政教分離も、凄かったです。信長は、比叡山焼き討ちとかしていますが、特定の宗教を弾圧はしていません。当時の宗教は戦国大名より武力をもっていました。その武力を背景に政治に口をはさむ、特に座や荘園などで民衆から税を徴収していました。それが許せなかったんでしょうね。逆に言うと、武力を背景に政治に介入しなければ宗教は弾圧されません。今、私たちが宗教をそこまで意識していないのは信長のおかげかもしれません。統一教会の話もありますが、キリスト教とイスラム教の争いなんかに比べると、たいしたことないです。

また、鉄砲などの武器を大量採用し、戦術も変えました。当時、鉄砲は皆軽視していたわけではないと思います。戦国大名はリアルリストですからね。でも、鉄砲の弾を信長は押さえていたみたいですから、これも自ずと勝つという経済力を備えていたということです。茶の湯や南蛮文化な時代を代表する文化の推進者でもあります。女性の活躍が史実に載るようになってきたのも信長以後です。

最後に、この変革を実行に移していった勇気、行動力ですね。宗教との関係でも、当時は、どの大名も宗教団体と妥協をしていました。それで、妥協しながらも宗教との争いも繰り返していました。信長は一切妥協しなかったですね。それは、自分の経済政策を実行するためには、既得権益をぶっ潰さないといけないというのをわかっていたからだと思います。

でも、宗教勢力に苦しめられ何度も死地に陥りそうになるわけですから、妥協したいと思うのが人情だと思うのですが、理想を達成しようという意志ですね。そして、その理想は大衆のためであるというのが後世からみても思うわけです。

私が、信長の生涯の小説なども好きで、本当に小さい田舎大名から、いかにして成功していくか?戦いの判断などを、今でも、本を片手にお酒を飲みながら、想いに耽るのが好きです。そして、信長に励まされました。それも、私の個性、シュンビンの個性に影響をしているかもしれないなと思う時があります。