PRESIDENT BLOG

2024.06.17 その他

絶対的な自分は存在しない

去年末に母が亡くなって、実家の蔵を家内と掃除してたのですが昔の資料や「はっぴ」がでてきました。その資料は大正8年の帳面でした。大正8年ですと、私の祖父は18歳です。そのときから和樽の製造として起業し、私が高校生のときに亡くなるまで、ゆうに60年以上は経営者です。

大正の時代から、戦争をへて、戦時は、軍に樽を提供していたらしいです。戦後、徐々にお酒の容器が樽からびんに変化し、祖父の知人の助言で一升瓶の回収・洗浄業に変化していくのですが最初は祖父が「俺はゴミ拾いじゃない」とその知人に言ったというのを、私も幼心に聞いたことがあります。職人魂のようなものですかね。

多分、私がそのような祖父母、父母に接して人格が形成されていると思います。どこかで、びんの洗浄を満足してなかった、誇りとしてなかった、それが自分が変化できた影響かもしれないなと思いました。祖父の魂が自分に在ったというか。

また、結婚も、自分の人生に大きい影響を与えていると思います。家内の経営者の家らしくない考え、堅実で謙遜を美徳とするところなどは、シュンビンが、フラットで自由で、先進的な組織であるというところに影響しているなと思います。奥さんが経営者の娘さんによくある贅沢な方なら、今の
シュンビンはなかったかもしれないと思います。

会社は、社長の個性が影響していると言いますが、その社長の個性も、そういった家族や社員に方に影響を受けています。だから、まさしく、我々人間は関係を生きており、この世に存在するあらゆる事物は、因縁によって生じ、不変の実体である我は存在しないといいますが、その通りかなと思います。

色々な人の影響を受けて、私の個性があるということをあらためて想いました。だからこそ、善い人と交わらなきゃいけません。