PRESIDENT BLOG
近年、経営者の不祥事などが世の中をにぎあわせています。私も、人生を長く生きてきていますが、これは周期的にありますね。私、つくずく思うのですが、素晴らしい才能と情熱、誰にも負けない努力によってすごい会社をつくっていった経営者の方が、そのようになってしまうというのは本当に惜しいと思います。
先日、先輩経営者と食事をしたときに、この話題になり、元々、そういう人だったんだと、その人はおっしゃったのですが、私は、やはり変質したんじゃないかと思っています。
最初は、社員のために顧客のために、こんなことができたら、皆のためにもいいだろうなあというのが世の中のためにもよかって、それで成長していったと思うのですが、やはり成功すると、人間変わります。
本人たちは、それぞれの理屈があると思うのですが、その理屈が利己に端を発したもので、何かの理屈をつけてみんなしているからということで理屈が捻じ曲げられそれを自分の考えにしてしまうのかなと想像します。
そうすると周囲の協力がえられなくなり、破綻してしまうと思います。本人は他人のせいでそうなったと思っているのですが、少し鳥瞰してみれば、全部自分が引き起こしたことというのが見えます。この考え方が変質する誘惑というのは経営者にしかわからないかもしれないですね。
そういうマスコミに話題になるような経営者と比較するのもおこがましいのですが、私の場合は、稲盛さんという私淑する人がいるというのが大きかったと思います。
私淑というのは、直接に教えは受けないが、その人を師と考えて尊敬し、模範として学ぶことです。私淑する人がいるから、自分をコントロールできているという面はあると思います。
『社長、そこまでかたくなにならずに、皆やっているし得だからいいんじゃないですか?』そういう誘惑というのは本当にたくさんあるんですが、いや、これをしたら、稲盛さんに怒られるんじゃないか?(リアルは直接知っているわけではないので怒られないのですが・・)そう思うことで自分を律することができます。
自分の上に何かを置くというのが大事で、それがないと間違った自己流になってしまうのではないかと思います。この自己流というのが自分本位になってしまうので本当に厄介なのです。
安岡正篤さんも『できるだけ若いうちに私淑する人を持つことは大事です。』とおっしゃってられますが、本当にそうだと思います。私も40代になってようやく私淑する人を見つけれたのですが、もっと早く見つけていればと思いますからね。まあ、自分の器がそれを受け入れる準備ができていなかったのが問題なのですが・・
でも焦ってもよくないのかなと思います。ホンモノの人に私淑しないととんでもないことになりますから。ホンモノを見つけることだと思います。そして、そのホンモノをみつけたら、繰り返し勉強することだと思います。
私淑する人をつくることでしか、人間の傲慢を抑えることは難しいのかなと思います。