PRESIDENT BLOG
昔から、父を越える又は超える、ということはよく言われます。自分の人生を振り返っても、なぜか、そういう意識はあったかなと思います。特に、自分の場合は、会社の後継者ということもあります。だからといって、父より偉くなりたいとかそういうことではないです。
元々、父とは、仲も良かったんです。家で一緒に野球などテレビを見るのも好きでした。ですが、私が会社に入って、やはり、若くて理想とするものが違ってくるんですね。ところが、父から見たら、もう甘ちゃんにしか見えないという、でも、今思えば、父がそう思うのも、本当に仕方ないと思います。
ただ当時はそう思わなくて、何で、こんな初歩的なことができないんだと、サラリーマン時代に上場会社にいたこともあって会社の足らない、ダメなところばかり目にいくんですね。もう、会社のことを話すと口論になるので、話すのも嫌になって、会社のことは話さないようになっていました。
会社以外のことは、口論にもならないので・・。でも、会社にとっては、これほど不幸なことはなく、あとで、それは全部しっぺ返しとして、自分にのしかかってきました。
それで、私が35歳のときに父が亡くなって、それから、最大のピンチ、会社存亡の危機と戦うことになるわけですが、そのときに、周囲にいる父と同世代の役員たちも、ストレスからか、病気などで辞めていかれ、一人で、会社を采配していました。
はじめは、なんで、こんな状態になるまでほっといたんだという父を恨めしく思っていました。そして、他人の庭はよく見えるではないですが、良い会社を渡された後継者の方が羨ましかったです。
ですが、途中で、これは、いくら、何をいっても、全責任を自分が取らないといけないなら、もう、愚痴はやめよう。すべてのことを自分の責任として受け止めよう、言い訳しているのも格好悪いし時間がもったいないと思ってから、人生が変化してきたような気がします。
そして、そのように、客観的に自分の周囲を見ることができるようになったときに、そして父と同じ立場になってはじめて父が自分を守ろうとしてくれていたんだなということが理解できるようになり、感謝の気持ちがわいてきたんです。
それで、父も一人の人間だったんだなと、ある意味、父の弱さも受け入れられるようになったと思います。だから、今でも墓参りによく行きますが、願い事をしたことはありません。いつも、ありがとうという感謝の心を捧げます。これは父だけでなく祖父母も母もそうですが。
今思えば、それが父を越えるということことかなと思います。超えるという字ではななく、父や両親、会社など、あらゆるものからの依存をなくす。自分が自分の人生を自ら立つ、そのときに、越えるのかなと思っています。
だから、後継者の方で、お父さんの愚痴を言う方も多いのですが、つい、「お父さんの悪口を言わない方がいいですよ」と言ってしまうので、それは、自分が自立できていないということを言っているようなものなので、格好悪いので、聞いてられないんですね。大きなお世話かもしれませんが。
父を越えるというのは、父より偉くなるということでなく、そもそも違う人格なので、そんなところは競うべきではないです。依存心からの脱却ということかなと思います。
そして、それができたときは、人間としての大きな成長につながるので、父を越えるというような言葉が今も残っているのかなと思います。