PRESIDENT BLOG

2021.09.21 その他

無私と無欲

無私と無欲は同じような言葉として使われています。ネットとかで検索しても、違いを言ってられる方はないように思います。私は、この二つは全く違うものだと、断定的に言いたいです。

なぜ、ここにこだわるか、例をあげて説明させていただきます。経営者でも創業の方でも、相続の方でも、最初から無私の人はほとんどいないと思います。やはり、物欲や自己顕示欲、または相続者だと良くても危機感のようなものからモチベートされます。私の場合は、危機感8自己顕示欲2ぐらいだったと思います。

初めは、それでもうまくいきます。しかし、それが満たされると、疑問をもちはじめます。このままでいいんだろうか?と。これは人間の本質が影響しているんですね。それで、例えば、素晴らしい偉人の言葉などを聞いて、自分の欲が間違いじゃないかと気づきはじめます。真面目な人ほどなるような気がします。

そして、欲自体をなくそうとします。もう、こうなってしまうと迷走にはいります。自分の私欲のときは、うまくいっていたが、それをなくそうとすることで、ブレーキがかかりまくって、事業がうまくいかなくなるのです。昔はがむしゃらにできたのにという焦燥感がうまれます。私は、こういう人をたくさん見てきました。また、自分もそうなりかけた経験もしています。これは、無私と無欲を同じだとみているからです。つまり、私は、欲というのは絶対なくしてだめなものだと思っています。

例えば、こうしたいというような理想、これは、欲じゃないですか。それをなくしてしまうと人間の意味が失われます。問題は、その欲を成長とともに昇華していくということです。

初めは、自分や家族のためでもいいのですが、それがずっとではなく、社員のため、顧客のため、世の中のためという、皆のためこうしたいという理想をどこまで描けるか?これをどこまで大きく描けるか?というのが器だと思います。その欲を昇華をする中で、無私でないといけないと思っています。つまり、理想を描くときに、自分というものをなくすんです。

稲盛さんが「動機が善で無私であれば、結果は必ず成功する」と言っていたのは、自分というものをなくし、皆のためにという理想(欲)は、宇宙の流れと同化し、必ず成功へと導いてくれるということだと思います。