PRESIDENT BLOG
当社、京都市さんがされている担い手交流というのに参加しています。これは、大企業の社員の方を研修で短期間受け入れるという
ようなことをされているのですが、当社も、1年間受け入れてお返しした実績があります。
その中で、その研修された方が、振り返りの座談会で当社をすごくほめていただいたらしく、特に、1年間通して社長(私)をみていたが、「1回も判断が間違ったのを見たことがない」と言っていただようです。これについては、光栄ではあるし、嬉しいんですが、でも、実際はそんなことないんですよ。常に間違っています。
社長になって、21年ですが、この間の重要な決断を振り返り、今後、社員にも参考になればなと思って作ってます。それで、決断の良し悪しを4段階でしていて、当時なぜそういう判断をしたかも書いています。
それで68個大きい判断があるんですが、その中で、これはもう◎だというのは半分もなかったんです。又、その◎も、△なものを修正して〇になったり、◎になったりしていることを考えると、本当に一発で◎というのはもっと少ないんじゃないですかね。
限られた条件で、限られた情報で、最善の判断をする。ということで条件も環境もすべて万全ではないですからね。まあ、それも、自分がつくってるのですが・・
その研修いただいた方が、私の判断が間違ってないと言っていただいているのは、恐らく、日々の細かい判断を見ていただいているのかなと思います。与える言葉とか振る舞いとかもそれに含まれるかもしれません。そこは、そう思っていただけたならありがたいです。
これは、私の親しい経営者の方がおっしゃっていたんですが、「日々の細かい判断でルールを守れない人が、大事な判断を正しくできるはずがない」と。これは確かにそうで、例えば、自分個人で使った1万円ほどの自分の食事代を会社の交際費にしている人が、数百万、数千万という金額になったときに、
・自分か会社か?
・自分か顧客か?
・自分か世の中の信義か?
というストレスが決断にかかるときに、自分を取らないという判断ができるか?というと無理だと思うんですね。そうしなくてもよいという理屈はいくらもありますから。皆もやっているというのはその代表的なものです。皆がやっていようがどうであろうが、自分はしないという厳しさがいるんです。最近、それを強く思うこともありました。
なので、日々は正しい判断ができていて当たり前なんです。そして自分個人を優遇しないのも当たり前なんです。それでも、間違えるんです。例えば、その間違う理由としては自分の会社に強い思いが入り過ぎて三方善が崩れていたり、現実より理想が強すぎて、今の会社には無理なことをしてしまったり。社員や顧客に人情的になって甘く小善になってしまったり。
もし、私がましというなら、それは、その判断を客観的にみて、反省しそれに対する手を打っていることかもしれません。多分、間違っていることさえ認識していない人も多いと思うので。
もちろん、人格を高めて、できるだけ間違わないとか、正しい判断を積み重ねて間違わないような環境を作っていくのが大事ですが、中々、そういう元から素晴らしい人というのはいないので、そうであれば、間違っても反省し修復していくということだと思います。
また、日々の細かい判断を有意注意で間違わないということです。これは大きい判断をするときの訓練です。日々の判断をいい加減にする人は、必ず大きい判断で致命的な判断ミスをすると思います。これはもう絶対にそうなると言っていいですね。