PRESIDENT BLOG
最近、思うことがあって、日本の神道、仏教を学んでいます。その流れで、原始的な仏教も学んでいます。そして、思うことは、真理というのは一つだなということです。
「我とは何かがわかると、事業にせよ、人生にせよ、順調に展開していく。これは自然の真理である」と稲盛さんは言っていました。つまり、人間とはどういうものか?人間が生れた目的は何か?どうすれば幸せな人生を歩めて、どうすれば不幸になるのか?また、宇宙とは何か?日本人とは何か?そういう見識も知識だけでなく、真理がわかることで深い洞察になると思います。
仏教では、私たちの身や心を毒するものとして三つあげています。それは、「貪瞋痴」です。「貪」とは、欲ですね。欲といっても世のため人のためという良い欲ではなく、貪りで、もっと褒められたい、もっと贅沢がしたい、もっと楽して儲けたいというようなエゴです。「瞋」とは怒りです。聞きたくないという拒絶の感情です。そこから派生する恨み、妬み、自分なんかというような拗ねたりする感情もこれにあたります。
この二つに関しては何となくわかると思うのですが「痴」というのが少しわかりずらいと思います。「痴」とは、智慧がないということ、愚かということです。この智慧がないというのは、要は、真理を知らないということです。
真理を知らないので、自分の間違った考えに執着して、また、それを押し通そうとすることで周囲との調和を欠いたり、自己向上を怠るので、人の役に立てないということ、むしろ、迷惑をかけてしまうということです。
私は、少し前まで釈迦が、なぜ「貪瞋」に対して、この「痴」を並列されたのかというのが疑問だったのですが、最近、これがよくわかります。
結局、ここをつかんでいないと、薄っぺらい人生観から出る間違った判断になります。薄っぺらいというのは、損得だけの判断、感情的な好き嫌いの判断、勇気のない判断、怠惰な判断です。または、表面的な世の中の流れに流され、世の風潮が暗示になり、それが自分の意見だと思っている。そして、それを間違っていると思っていない。だから、愚痴というのは全部「痴」になります。感謝することは常にあるわけですから。
「痴」を避け、智慧を身に着けるように、真理を根強く自分に植え付け、人生を切り拓く力が人間に与えられていることに感謝を持つようにしていきたいと思います。