PRESIDENT BLOG

2022.10.24 その他

公憤

仏教では貪瞋痴が人生をダメにする三毒といっています。瞋が怒りなので、怒りはよくないものという認識です。でも、すべてダメといっているのかというと、そうではないと私は思います。孔子も、「君子も亦憎むことあり」と言っています。

そもそも、怒りというのは、人間の自己防衛の本能からでてきたものですね。顔に何かをぶつけられると反射的に目を背けるように、自分に危険が及ぶと、怒りの感情がでてくるのです。要は、それは人間にとって必要なんですが、これはなんでもそうなのですが、それにとらわれるのがダメなわけです。

でも、どうでしょうか?怒りにとらわれている人が多いんじゃないでしょうか?この世界で、一番大切な自分に嫌な思いをさせた、そのことが許せない。今の時点では誰も危害を加えていないのに、その怒りの炎を大事にして、炎を消さないようにしている。それが怒りにとらわれてるということです。

では、良い怒りとはどういうことかというと、自分以外のものを守ろうとすることで起こる公憤です。一番身近でいうと、家族が暴漢に襲われそうになる、それを身を挺して守ろうとする。さらに経営者だと会社、社員を守ろうとする、これは怒りと同じような働きをします。アドレナリンが分泌され、心拍が上がるという反応です。

それは公憤と呼ぶものではないかと思います。公憤なんで、怒りにとらわれず、その危険が終われば落ち着きます。これにとらわれているということは、常にアドレナリンが分泌している状態なので、心身がつぶれるわけです。

怒りが必ずしも悪いものではないというのはウクライナをみてもそうですね。ロシアは、短期決戦でかたがつくと高を括っていたと思いますが、ジェレンスキー大統領というトップの怒りが、徹底抗戦を呼びかけ、正義を呼びかけ、自分も戦いの前線に立った、そこが勝負の分かれ道だったと思います。聞くところによると序盤で、アメリカは亡命を勧めたが応じなかったと聞きました。闘わずに交渉せよという人がいますが、もし、そうしていたらウクライナという国は滅びていますね。逆に言うと、闘っているから交渉が効くのです。

稲盛さんも、闘争心がないとリーダーになってはいけないとよく言っていました。自分の中にも、闘争心はあります。経営者仲間も言っていましたが、それがなかったら、21年前の絶体絶命の経営危機を乗り越えれなかった思います。社長になってすぐは、闘争心がでまくっていたと思うので、帰ってからはぐったりで身体も痛めていました。

今は、昔よりは闘争心をコントロールできるようになったと思います。でも、それは、闘争心をなくせということではありません。逆に稲盛さんがおっしゃるように、リーダーが闘争心を失っているのが、日本が停滞している原因でもあります。闘争心を内に秘め、必要なときに、公のために使うということです。