PRESIDENT BLOG
前も話したかもしれませんが、先日、取材があり、「もし、大きい変化がなければ、御社はここまで、変化していましたか?」という質問があったと聞かれ、「もしかすると変われなかったかもしれない」と答えたという話をしました。
それがずっと引っかかって、自分の中で深く考えました。今、日本では、子供の教育についても、過保護になっていると言われてますね。農家の方に、ハウスでつくっている食べ物でも、暖房の近くの食べ物はダメになると聞いたことがあります。
良かれと思って良い環境をつくっても、それが実は良い環境ではなかったというのはよく聞きます。とはいえ、では、あえて、子供に厳しい環境を与えるか?といっても、これは難しいですね。
それは、やはり、犯罪者などの経歴などをみても、悲惨な環境であったというのがあるからだと思います。良い環境の方が、リスクが少ないと思っているからだと思います。厳しい環境におかれ、それがプラスになる人、マイナスになる人、もっというと、ぬるい環境でも、そのまま素直に伸びる人もいるわけですよね。考えたら。
その差は、何か?私は、ずっと考えて、ひたむきな努力かなと思い至りました。目の前のことに一生懸命、謙虚に創意工夫して毎日少しでも
良くしていこうとする、それがあれば、環境が良ければより良くなるでしょうし、悪ければ、それが、自分を大きく変えるきっかけとなり、すごく前進することにもなります。
要は、環境に左右されるというのがダメなんでしょうね。良ければ傲慢になり、少しのお金でも贅沢に使ってしまう。悪ければ、ひねくれて、世の中が悪い、周囲が悪いという愚痴がでて、人のせいにして、自分を省みない。
環境にとらわれず、ただ、ひたむきに、自分にできることをしていく。そう考えると、時代が変わっても成功するコツ、幸せになる方法は同じなのかなと思います。
私も、「これ以上できることがないか?」と自分に問いかけ、これ以上は今の時点では自分ができることはないと判断したらそのことはもう考えない(環境にとらわれ感情的にならない)ということを習慣にしています。これは苦労を積んでこの歳になってつかんだ人生のコツかな
と思っています。
でも、それに気づいたのは、35歳から厳しい環境に置かれたからでして、もっと早く、先人の言葉を素直に聞ければよかったんですが、これまた、若い時はできなくて経験を積んで、こうしたら良かったと反省するいうのも私だけでなく人間の常かもしれません。一部、芦田愛菜ちゃんのような例外はあるのかもしれませんがあれは、読書で人の体験を学んでいるんでしょうね。愚者は体験に学び、賢者は歴史に学ぶといいますもんね。まあ、過去を悔やむのは、それこそ、ひたむきじゃないので現在を一生懸命に生きるようにします。